2008年02月20日
清正公
偶々、飯を食い乍らワンセグを見ておりましたところ、「その時歴史が動いた」で加藤清正についてやっておりました。いやあ、矢っ張り、武士として一々恰好いいなあ。下克上の世にあって、豊臣家の存続を第一義として身命を賭す其の武、日本人のDNAに組み込まれている「滅びの美学」の琴線にビシビシ来ます。をのこたる者、其の生き様を学ばねばと思った次第。
以下、ウィキペディアから抜粋。
慶長16年(1611年)、豊臣秀頼が二条城で徳川家康と会見したとき、清正は浅野幸長と共に一命をかけて秀頼を守護するため、密かに懐中に短刀を忍ばせていたという。秀頼が暗殺されそうになれば、家康と刺し違えるつもりだったといわれている。
「清正、御暇給はりて我が家に帰り、懐よりちいさき刀取り出し、鞘より抜きて押し戴き、頻りに涙を流しつつ、太閤の御恩報い参らする事、今日既におわんぬ、と独語いひけるとなり」
でも、あずみにあっさり討ち取られちゃうんだよね。清正が若しも10年長生きしていたら、日本史の教科書は全然違っただろうにな。







